横山さんと来ています
みなさんこんにちは。昨年11月に続き、虹の家の当事者スタッフ横山香理さんとPSW上久保で、福島県相馬市のなごみさんにおじゃましています。
昨日は12:11に浜松駅発のひかり号に乗り、17時半過ぎに相馬に着きました。駅の近くの、とても美味しい棒餃子や酢豚やチャーハンやお鍋をいただき(・・・すごい量)気分よく宿に。そして、今日は朝から相馬広域こころのケアセンターなごみさんに伺いました。
横山さんはなごみクラブ(虹の家のような当事者の日中活動の場です)にて、さっそくハネウマライダーの発表を自分一人でしてくれました。
自分一人で発表できるのはすごく頼もしいですね。
仲間のためならば考えられる
その間、私は佐藤照美さんと一緒に訪問へ。以前は一般就労もされていた方ですが、仕事を辞めてからはひきこもり、次第に精神障害が悪化された方です。ご両親と暮らしているのですが、ご両親との衝突も少なくないそうです。私たちが伺ったときも、ご両親との間で一騒動があった直後。髪の毛をどう洗ってよいかさえも「わからなくなってしまった」と・・・。広くて整頓されている立派なお部屋で、その方は
私なんて生きている価値はない
両親にも迷惑ばかりかけている
生きていたって何も良いことはない
生き地獄みたいなもの
もう死んでしまえればいいのに
とおっしゃっていました。
このような言葉は、私が訪問しているときにもよく聴く言葉です。確かに健康であれば、資格があれば、やる気があれば、ひと頑張りできるかもしれない。けれども、精神疾患に悩まされる人たちにとって、いきなり何かを始めることは簡単ではありません。つい、「生きていてもしかたない」と思ってしまうことでしょう。
その方に、「浜松にも同じような方がいます。今朝も私のところにメールがきました。自分なんていても仕方がない、生きていても価値がないってます。そのような方に、なんて言ってあげれば良いでしょうか?」とたずねてみました。
「そんなこと言ってもわからない」、そのように2回言われた後に、その方は、
津波とかで生きくても死んだ人もいるんだから、
生きてるだけでありがたいと思わなくちゃいけないね
と、輝くようなかみしめるような表情で言ってくれました。それを浜松の人に伝えても良いかと尋ねると、良いとも言ってくれました。
髪の毛をどう洗えばよいかまでも「わからない」と言っていた方が、最初はわからないと言っていたことなのに、会ったこともない浜松の自分と同じような境遇の人のために、難しい問題を一生懸命考えてくれた。そのことに、とても感動してしまいました。その言葉を発した時のその方の輝きも、忘れることができません。
もちろん、その輝きは一瞬であり、その後はまたまた親御さんとの葛藤があり、嘆きがあり、うまくいかないことがたくさん出てきます。
でも、その一瞬の輝き、仲間のために考えてくれたという事実は、消えません。その輝きが少しでも長くなることを祈るばかりです。
家族支援の大切さ
障害のある方の場合、どうしてもその人の世話、ケアが必要です。そのケアの責任、負担を誰が担うか。
残念ながら、日本では社会でみんなでケアするまでには至っていません。それは高齢者でも同じですね。
もちろん、家族どうしで助け合うことは大切なことだし、素敵なことだけれども、全ての負担を担うことで、家族のみなさん自身の生活がとても大変になってしまうこともあります。
障害のある人への支援ももちろん大切ですが、ご家族へのさまざまな支援が必要ですね。
忘れられてしまうことの恐ろしさ
午後は仮設住宅などへの訪問の予定でしたが、残念ながら2件ともご不在でした。少し時間があるからと、看護師の石井さん(ACT全国研修で浜松にもいらしてくださいました)とPSWの木村さんが、南相馬市鹿島の海水浴場などを案内してくれました。
「半年前でも予約がとれないくらい、すごく人気があるキャンプ場だったんですよ」と石井さん。
海水浴とキャンプがどちらもできる。それはそれは確かに楽しいですし、満足度も高いですね。
世界のサーフィン大会も開催されたことがあるそうです。
今のキャンプ場の光景から考えること
そうですね。確かに、たくさんの家族がここで忘れられない時間を過ごしたのでしょうね。
しかし、津波はとてもたくさんのものを奪いました。また、ここは福島第一原発から30kmしか離れていません。海水浴場としての再開は難しいようです。
下の写真は、流されてしまった道路です。左の橋桁にはまだ道が残っていますが、その右から道が流されてしまいました。
左の橋げたを別の角度からみたものです。橋げたの右下には、「除染」の看板もあります。
以前は、海水浴場に通じる道路だったのでしょうか。
津波の威力を感じさせる錆びた鉄、そして荒れた野原。
「こうやって見ていも、昔、ここがどういうところだったのか忘れてしまうんですよね」
「千と千尋の神隠し」で、千が自分の名前を忘れてしまうように、その土地からその土地の記憶が失われる。
それは、ある意味、その地が「被災地」でさえなくなってしまう恐ろしいことのように思います。