息子が死んでいるのに・・・

 避難所から今度は、応急仮設住宅へと住まいは移ります。もちろん避難所よりは良いとは言っても、入ったらすぐにトイレと台所。歩く必要すらないような狭さでした。
 ここがKさんのいらした柚木応急仮設住宅です。


今は復興住宅に移ったり別の場所に転居したりで、4割ほどしか入っていないそうです。
それでも、安否確認も兼ねて夕食の配色サービスがあるそうです。SHIDAXのトラックはそのために停まっているのだそうです。こうやって今も地道な活動がなされているのですね。


 この仮設住宅のサロン活動にKさんも誘われます。ドクターが仮設を回ってくれて血圧を測りながら健康の相談に乗ってくれたり訪問してくれたのはありがたかったそうです。
 しかし、一方で、仮設のサロン活動で行われるレクリエーションにはなじめなかったそうです。

歌や踊りって、
人の気持ちも知らないで・・・
息子が死んでいるのに、歌や踊りなんて、
ばちがあたるような気がした

息子さんに何一つ用意することもできずに弔わざるをえなかったKさんにとって、「喪」の仕事はとても大切なものだったことでしょう。そのようなKさんにとっては、レクリエーションへの参加はそのような喪の仕事に反するものに感じられたのかもしれません。

 それぞれの方にそれぞれのご事情があり、お気持ちがある。
 おそらく、善かれ、と思って行われた営みなのでしょうが、Kさんのこの言葉をきくと、難しさを感じます。

 何を食べてもうまくないんだ。
 芯から笑うことはできないんだ。
 今もそのような生活が続きます。いや、もしかしたら、今ごろになって、いっそう精神症状が出る場合もあります。実際に、今朝のなごみさんのミーティングでも「遅発性PTSD」の方の報告がありました。もしかしたら、これからそのような症状が出る方がたくさんいらっしゃるのかもしれません。