ありがとう東北 ごめんなさい東北
明日からはぴあクリニックでの日々がまた始まります。ということで、最後に被災地支援を終えての感想を記し、これらの記録をひとまず終えたいと思います。
人間って素晴らしい
あまりにありきたりで、ユニークでなくって、パンチもひねりもきいてなくって自分も悔しいのですが、どうしてもこうなってしまいます。「被災地支援して、何を一番感じましたか?」って問われたら、
人間って素晴らしい
になってしまうんです。
素晴らしい被災地の人たちの力
圧倒的な自然の力になすすべもなく大きな被害を受けた人たちが、それでも暮らしを建て直していこう、家族とともに一歩ずつ進もう、地域をもう一度創っていこうと努力していました。
3年間は塩害で作物が作れないと言われた土地で、70を過ぎる方が作物を栽培していました。
ヘドロで1階が埋め尽くされた家だけれども「おやじがここに住みたいって言うからさあ」と毎日少しずつ家をきれいにしている男性がいました。
奥様を亡くされてその上震災で心が凍る思いをしながらも、毎日給食作りに出かける男性がいました。
家を流され、命からがら津波から逃げ出して避難所で生活しながら、もっと大変な思いをした家族や知人のことを案じる女性がいました。
素晴らしい善意の力
また、被災した方たちの力になりたいと、全国からさまざまな善意が寄せられており、それが大きな復興への後押しとなっていることを知りました。
救援物資として缶パンを送った携帯電話会社がありました。その缶パンの1つ1つに手書きの心のこもったメッセージが記されていました。
「ボランティアさんが来てくれたんだよ〜。本当に、どんだけ助かったかわからない。ありがたかったんだよ〜。」と、何人からきいたかわかりません。
「私たち、今度どっかで災害が起きたら、すぐに駆けつけなくちゃねって職員同士で言っているんです。もう、どれだけ恩返ししても足りません」と、仙台市の職員さんが言っていました。
私が属した日精診のドクターでも、「支援活動にこれを使ってくれ」と、震災の後に現地受け入れ先となったクリニックにステップワゴンで乗り付けた方がいたそうです。そのステップワゴンで私たちはずっと活動をしていました。
まだまだ書ききれません。
もちろん、ひどい人がいた、津波で甚大な被害に遭った地域で空き巣に入られたという話もききました。石巻の混乱についてもききました。
それでも、今回仙台に行くことで、私は人間の力の素晴らしさを感じることができました。
素晴らしい行政の力(という点もあるんです)
また、全国規模で行政の支援活動が進んでいることも知りました。
政治と行政については、問題点ばかりが報道されます。確かに、政権を巡る中央の動きについては呆れて物が言えません。そんなことにエネルギーを費やす前にやるべきことが多々あるだろうと思います。
また、以前紹介したように、行政が迅速に動かないが故に発生している問題も多々あります。
しかし、震災直後から仙台市には京都市とさいたま市の保健師が途切れなく派遣されています。京都市は震災直後は4名、現在は2名とのことでした。1週間ずつの交代で、ずっと支援が続いています。その他、鳥取県警、佐賀県警の警察官も仙台に派遣されていました。写真にあるとおり、相模原市や新潟市の公用車も目にしました。震災直後からずっと全国規模にある程度組織だった行政による支援活動が継続されているそうです。確か、浜松市は陸前高田市への支援活動を行っているはずです。
まだまだ継続した支援が必要です
さまざまな支援活動が進んでいます。復興に向けて現地の方たちが力強く歩んでいます。
しかし、あまりにも大きな災害でした。それに伴う混乱などで二次的な被害に遭われた方もいらっしゃいます。
まだまだ継続した支援が必要です。
こころの問題をめぐる日精診の活動はむしろこれからが本番でしょう。長期的にどのように支援活動を行っていくのか、現地スタッフの疲弊を防ぐために、誰がどのようにコーディネートしていくべきなのかも含め、考えていかなくてはいけないでしょう。
お金もまだまだ必要です。
義援金の配分や支給をめぐって悪いニュースもありますが、とにかく復興にはお金がかかります。
みなさん、まだまだ義援金を出してほしいと思います。
ごめんなさい!
最後に、ごめんなさい!と、仙台の現地のスタッフさんに言わなくてはいけません。
おとといの夜、仙台を離れ東京の上野で私は友人と会っていました。そのときに、お世話になった現地のコーディネーターさんからお電話をいただきました。引き継ぎできていなかったことの確認などが主な用件でしたが、そのときに私は、本当にその方に済まないと思ってしまいました。
一緒に数日間現地で活動して、そのスタッフさんとも仲良く一緒に頑張りました。
でも、私だけが、この安心したとりあえず破壊された物のない、震災で深く傷ついた人に会う可能性のとても低い世界に戻ってきてしまったのです。あの、心をえぐられるようながれきの山や寒々とした(夏は暑いのですごく違和感のある表現ですが)プレハブの仮設住宅を目の前にしてあれこれ考えることのない世界に還ってきてしまったのです。
その電話を受けたときにに、初めて、被災地の方の大変さのほんの一部を知ることができたように思います。
被災というのは災害が起こったときだけに発生するのではないのですよね。
毎日の暮らしの中で、第二次第三次の被災があるのです。余震もそうだし、避難所や仮設住宅の生活もそうだし、暮らしの一部を喪う経験もそうだし。災害を受けた町並みやその痕跡を目にするのも大変なストレスなんです。
「戻ってきてごめん!」
と私が言ったら、そのスタッフさんは
「また来て下さいよ! 浜松が被災したら、ぼく、ぴあクリニックに行きますから!」
と言ってくれました。
「わかった!! 家庭崩壊しない程度に、また行くから!!」
本当にありがとうございました。そして、ごめんなさい。いつになるかはわからないけれども、また、多分、行きます。
PSW 上久保真理子