こころの防災対策

 今日は実際の訪問活動はせず、業務報告や今後仙台で活動する皆さんのためのメモなどを作成していました。回らなくてはいけないケースがあまりなかったのに対して、日精診スタッフが多かったためです。
 
  ですので、この活動のまとめをしておきたいと思います。
 まずは、次はうちの地域であるかもしれないと思っている方(静岡県民のほとんどはそう思っていますよね)のために。

大災害が起こる前に

災害は起こるものだと考えておく

 この地域です。地震はおそらく起こるだろう、けっこうひどいのが起こるだろうと半ばあきらめ、そこそこ準備をしておくと良いでしょう。
 仙台の市街地が早く復興した原因の一つは、耐震建築が多かったことにあるようです。宮城県沖地震 - Wikipediaが1978年にあり、ブロック塀が倒されたくさんの方が亡くなりました。それ以降、仙台の建物はある程度地震が起きても被害をくいとめることを考慮して建てられたといいます。
 そして、人々の心のなかにも、「いつかこの地域で大きな地震がある」との思いはあったようです。

 -この10年以内に大きい地震がくるって言われてたんだよね〜。
 -地震はあるだろうって思ってたけど、まさかあんなのが来るとは思わなかったねえ。
 -あの日(3.11)の2〜3日前にもけっこう大きな地震があったんですよ。それでみんなで、「あの地震でエネルギーが吸収できたといいねえ。あれで収まるといいねえ」って言ってたんです。・・・そしたらねえ、あんなのが来ちゃって。
 -奥尻地震があったでしょ北海道南西沖地震 - Wikipedia。あのとき、週刊誌に津波でめちゃくちゃになった家の写真が載ってたんだよね。で、うちもこうなるな〜。って思ってたんだ。だから、地震の揺れが収まった後に、ぜったい津波が来るって思って、近くの人たちとすぐに車で逃げたんだ。
 -この部落でも、5人亡くなったんだけどね、「津波なんて来るわけない」って言ってた人がみんな亡くなったよ。

 少なくとも生きている方・しかも比較的健康な方たちからは、「地震がくると思っていた」との言葉がきかれました。だからこそ、生き残っているのかもしれません(統計をとったわけではないので、本当のところどうかはわかりませんが)。

大災害が起こったときに

見ない!聞かない!

 今回現存する家屋ではおそらく最も海側の集落の全戸訪問とそこよりも海側の集落で生活してきた皆さんのお話をずっと聴いていました。そこでわかったのは、
物理的被害が同じでも、津波が襲う光景など、決定的な被災の場面を見ているか見ていないかで、精神的なダメージが全く異なる
ということです。
 そして、そのようなダメージを負っていない人たちは、住み慣れた場所でまた頑張ろうという力が湧きやすいようです。

一方、そのような光景を目にしたり、水に浸かったりした方は、圧倒的な恐怖からなかなか逃れられないし、たとえ愛着のあるわが家であったとしても、もう暮らしたくないと思ってしまうようです。
 突然襲う災害を予測することは難しいでしょう。しかし、災害が起こったときにとる対処はあらかじめ考えておくことが可能です。
人間、不安だといろいろなことを知りたくなります。しかし、知らなくて良いことは知らなくても良いのです。昔話の「見るなの屋敷」と同じです。見てはいけない、見ることで破壊されてしまうものがあります。
 怖いもの見たさや不安にかられて見ない。
 それは、その後の苦しい日々から自分を守るための処方箋です。

直後はできるだけ一人ではいない

S-ACTの皆さんが言っていました。地震直後、仙台には一時的ですが、物凄い勢いで雪が降ったそうです。「まるで追い打ちをかけるような、とどめをさすような雪だった」
と。ライフラインはもちろん途絶。そしてそのあと、真っ暗な夜が訪れました。凍てつくような寒さの中、暖も取れず、何が起こったのかわからず、余震が続いている。
その夜を一人で過ごしたか誰かと過ごしたかでも、その後の精神状態は異なるようです。
 幸い、S-ACTの皆さんは、やっとの思いでオフィスに帰り、その夜はオフィスに帰らずともに過ごしたのだそうです。メンバー間の結束が強まったでしょうし、何と言っても、不安で苛まれる時間と量が圧倒的に小さくなります。
 全戸訪問したお宅のなかには、津波が襲い、1階には水が入ってきたため、2階にあがり一人で一やを明かしたという方がいらっしゃいました。努めて明るくしているけれども、ふっと見せる表情や言葉から、その人がどれほど恐ろしい思いでその夜を過ごしたのかが伝わってきます。


 家にいるとき、職場や学校にいるとき、家族それぞれが外出しているときなどなど、いろいろな場合を想定して、特に災害当日の夜家族で一緒に過ごせるように計画してみると良いでしょう。