津波に襲われた地域にて

 午後は、保健所が現在実施している全戸調査のお手伝いを行いました。京都市さいたま市保健師さんと一緒です。保健師さんのアウトリーチ活動に同行でき、とても良い勉強になりました。
 一戸一戸まわり、住宅地図に印をつけていきます。

迅速な決定を!

 今日まわったところは、津波が襲い家が壊れながらも、どうにか持ちこたえており、補修をして暮らそうと思っている方がいる地域としては最南端の地域です。これよりも南では家はほぼ全壊、新築する以外は暮らせません。しかし、復興特区とか復興構想のデザインがまだはっきりしておらず、新築して良いのか、補修して良いのか、補修したらお金がでるのかがわかりません。なので、みなさん宙ぶらりんの状態で困っていらっしゃいました。とある方が、

行政レベルが立ち上がってくるまで待っていると全てがダメになってしまう

と言われていました。悲しいけれども、本当にそうなんです。仙台も梅雨の時期に入りました。行政が決めてくれるまで待っていては、壊れて補修の必要な家はどんどんダメになってしまう。一刻も早く決めてほしいというのが、この地域の方の切実な願いでした。

「決定的写真!」は撮れません

 地域の方が補修している中で、写真は撮れません。そんな無神経なことはできません。
 人がいないところで、ほんのちょっと、携帯のデジカメで撮る程度です。
 腕がよくないのもあるけれども、撮りたい光景こそ撮れません。

 関係性で成り立っている職業です。仕方ないですね。
 写真をクリックすると、多少拡大してみえます。ご覧になっていただければと思います。
がれきと家と。建築によって被害は全く異なります。かなり南の地域でも残っている家があれば、がれきと化した家もあります。新しい家は比較的強いです。でも、津波が怖いからと、新築の家を離れる決心をしたところもあるそうです。若い人はそういう傾向にあり、ずっと長く暮らしてきたお年寄りは戻りたいと思う人が多いそうです。
 ボランティアの学生さん。がれきの片付、泥をすくう、家をきれいにする。ボランティアのお仕事でどんなに助かったか!とたくさんの方がおっしゃっていました。若い学生さんを目にすると、こちらもほっとします。
 がれきの山を前に生活するのってさぞつらいことだと思います。だって、そこは前は青々とした田んぼと南の集落があった土地なのですから。
 3月14日には自衛隊の「検索」が終了との貼り紙。このお宅は無人でした。

 車窓から。プレハブ住宅や車が流されて傾いているのがわかるでしょうか。ちょうど小川の堤防があって高くなっており、水がひいたときにあの地点でとどまったのだと思います。
 古いお宅の被害は甚大です。ここももう住めません。

 そして最後の写真。がれきの奥に松林が見えます。かろうじて津波に耐えた松。あの奥が海です。

 「がれき」って書いてしまったけれども、そのがれきの破片の一つ一つに、人の暮らしと人の希望がつまっていたはずです。その破片一つ一つが、それを使っていた人たちのさまざまな姿を目撃していたはずです。
 何が起こってしまったんだろう・・・。
 わかったようで、わからなくなってしまいました。