支援第1日目
行政職員の大変さ
まず、若林区役所に行きました。9時ちょっとすぎというのに、大変な混雑。義捐金の交付やさまざまな申請の受付などがあるとのことでした。行政がなすべきことが非常に多くなるのが災害時の一つの特色なのですね。
行政のなすべき役割が大きくなるものの、直ちに行政の職員が多くなるわけではありません。行政職員の負担はいかばかりかと、まずロビーで感じました。
後で保健師さんにきいたのですが、震災の被害に加えて政策が決まらない(多分明日詳しく書きます)、生活再建のメドがたたないといったことで住民のみなさんが抱えるストレスを、窓口で吐き出すことが少なくないそうです。先日も、「土下座しろ!」と怒鳴られている窓口業務の人がいたそうです。
窓口業務は他の地域の支援者が行うことが難しいと思われます(なんといっても、その地区に生活している人でないとわからない情報が多いでしょうから)。本当はそういうハードなところを、他の地域の人がかわりにできるといいのですが・・・。
身一つで生きながらえるということ
さて、1週間のミーティングを終え、私たちは仙台市の避難所の一つに赴きました。一時期は400人近くいたそうですが、仮設住宅に移転したり、他の家族と住むようになったりといろいろで、今は120人あまりしか残っていません。
小学校の屋上に逃げてかろうじて助かったけれども、家を流され「この身一つだけ」で命からがら逃げて助かった、その後不安で眠れなくなってしまった、常に揺れているような感じがするという方のお話を伺いました。
目の前にいる方から津波が押し寄せるときのお話を伺うと、ただただ圧倒されます。でも、その方は「今日は涙が出ないねえ。いつも、泣いてしまうんだけど・。・・・・もう、涙も涸れたかな」と。そんな言葉に絶句してしまいます。
かなりじっくりお話を伺ったのですが、まさに寄せてはかえす波のように、悲しくてたまらないというお話をしたり、お孫さんがたくましいと笑顔を見せたりさまざまな感情が襲ってこられているようでした。
この方のお部屋には、さまざまな生活用品が置かれていました。
これは、全部、全国のみなさんからの支援の品物なんです。私たちは、本当に何も持たずに逃げてきました。でも、こうやってたくさんのみなさんからたくさんのものをいただいて・・・。どこに足を向けて寝ていいのかわかりません。本当に、ありがたいです。こうやって震災に遭って、たくさんのつらい思いをしたけれども、人の心の優しさも知りました。私たちのために、全国のみなさんがこんなにしてくれるなんて・・・・
それは素晴らしいことだけれども、反対に、自分が住む部屋にあるほとんど全てのものを他の人たちや行政機関からの支給に頼らなければいけないことがいかに不自由なことか・・・。いろいろ考えさせられます。
孤立!! コミュニティの創造とネットワークの充実が必要
午後は仮設住宅をまわりました。
ここでは、いつも感じていることと同様のことを感じました。
仮設住宅はプライバシーを保つには格好の場ですし、今回は地区全体で仮設住宅に移転できるようにという配慮もありました。神戸の震災のときの教訓が生かされています。
しかし。
やはり、ひとたび仮設住宅に入ると、孤立しがちです。公園にできたプレハブの住宅の並び具合は、殺風景そのもの。見ているだけで心が寒々とします。自然発生的ではないし、「とりあえず住居」という発想(それもそれで大切なことなのですが)でできているだけに、人びとが居心地良く暮らすための仕掛けがほとんどありません。
マイホームを建てると、子どもが自分の部屋にこもって、かえって家族団らんがなくなるというのと共通するかもしれません。
仮設住宅を訪問して、そのような孤立感を訴える方もいらっしゃいました。
とある単身の方。
今までは仕事もあったし、それはそれでまあ、自分の暮らしをそれなりに快適に過ごしてきた。しかし、震災で多くのものを喪ったなかで、もう一度自分の人生に向き合わなければいけない。単身であるということの負の側面がその人を苛んでいらしたり。
幸い、地域ごとの移転の場合が多いので、ひと工夫すれば、みなさんの孤立感をやわらげたり、より厚いネットワークを形成することも可能ではないかと思います。
ぴあクリニックの訪問をしていて、お一人お一人のリカバリーにとって、コミュニティとネットワークの持つ意味の大きさを日々感じているだけに、そのような点での支援が必要だと強く思いました。