「飲んで幸せになる会」??

 午前中の最初は、アルコール依存の方の訪問に関するうちあわせに参加させていただきました。震災によって住まいも職も奪われた人がアルコール依存に陥るというケースは後を絶たないようです。特に漁師さんは、夜に漁をして昼間は飲んでいるのが常態。それが震災によって職を奪われ、昼のみならず夜も飲む、そしてアルコール依存へ・・・というパターンがあると、他の方からもききました。松川浦の漁は再開しつつあるとのことですが、汚染水を海に放出しても良いとのIAEAの報告も先日あったばかり・・・http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140214/k10015231991000.html。漁をする方も、食べる方も、不安を払拭することは難しいかもしれません。
「漁師さんは怒っていますよ。本当に」と、昨日きいたばかりです。

 なごみさんでアルコール依存の方への支援を行っているというのは、地域にとって大きな力なのでしょうね。他にAAもあるようです。
 私はぴあクリニックで2007年5月ごろから摂食障害のみなさんのセルフ・ヘルプ・グループである「食べて幸せになる会」の運営のお手伝いをしています。私自身、たまたま摂食障害はないけれども、生活のしづらさと問題を多々抱える悩める一当事者として参加しています。
 「食べて幸せになる会」というネーミングは、「とりあえず」でつけた名前で、おいおい当事者のみなさんがもっと良い名前に変えてくれることを見込んでいたのですが、意外なほど当事者のみなさんに人気で(NABAの鶴田桃エさんも褒めてくれたくらい)、この名前が定着しています。

 アルコール依存の方への支援を行っている伏見さんに「食べて幸せになる会」という名前をお伝えしたら、「そうだよね〜。『飲んで幸せになる会』もいいよねえ」と。確かに、少量飲酒はストレスの発散になるし、「お酒」でなくても何かを飲んで幸せになることを含んでもいいし。どうやったら「幸せ」に飲めるかをみんなで考えるという逆転の発想も悪くないように思います。
 ただ、食べるという営みは生きていく以上はずせないから、摂食障害の人も「食べる」ことを抜きにはできない。それに対して、もちろん水分摂取は必要ながらお酒を「飲む」ことを断っても生きていける。「飲む」というと日本語のニュアンスからして「お酒を飲む」という意味合いが強い。そのあたりで、
「飲んで幸せになる」というネーミングは誤解を招きやすいかもしれません。

 でも、「幸せに飲む」「飲んで幸せになる」という発想はアルコール対策(予防も含め)にあっても良いように思います。「お酒飲んでませんか?」と訪問で始終尋ねるよりは、一緒に「幸せな飲み方」ってどんなものか、何をどう飲めばいいのか考えるほうが、その人のリカバリーにつながる気がしますが・・・いかがでしょうか?