支援最終日


 いつの間にか今日22日が福島での最終日。
 やっと佐藤さん(4人いる!)のそれぞれの名前を覚えたのに、やっと相双地域の地理がわかったところなのに、おいしい中華料理屋さんも知ったのに、今日でおしまいなんて・・・。
 ということで、朝のミーティングでお時間をとっていただいて、なごみの皆さんに、「だんだん原発のこととか忘れちゃっている私のような浜松とかで過ごしている人たちに伝えたいこと」を話していただきました。
 (ですます調だったりである調だったりしてごめんなさい)

振れ幅が大きい中での日々 大谷さん

知ってほしいことはいろいろあります。一番知ってほしいことは放射能の問題かなとは思っています。ほんとうに、専門家でも考えがわかれていて、基本的に100ミリシーベルトなら大丈夫という考えから基本的に放射性物質を入れたらまずいという考えの中で情報を乱立するなかで、子どもを福島にいさせていいのか迷いながら、楽しいこともありながら、振れ幅の広いふ安定な日々を過ごされている。一般の人達も私たちも。原発は日本全国あるけれども、絶対に安全ではないとこれで証明できたので、原発はダメなんだなあとわかってほしい。

子どもたちが心配 佐藤 里美さん

 南相馬市出身なので、覚悟を持って戻ってきたので、何かをしなくちゃいけないなと思って生活しています。一番気になるのは子どもたち。お父さんが別なところで働いて、お母さんと子どもだけがここにいたりとか別のパターンもある。子どもたちが自由に遊べない環境が直ってほしいです。大きい子どもたちは少しは見るけれども、小さい子どもたちは外で遊んでいない。今までは夕方も子どもたちが遊んでいる。うちのおじさんは梨屋さんなんだけれども、農家はもう終わりだといっていってました。農家の人が普通にやれる日々が来るといいなあ、しばらくかかるのかなあと思っている。期待は持っていないみたいなんですよね。農家はうちの代で終わりだとおじさんは言っていて、それも寂しいなあと思う。

特別、ではなく 羽田さん

被災地で支援者をやっているというと、特別な視線でみられがちだけれども、自分は特別なことをしているという思いをなるべく持たないようにしたいと思ってやっています。ただ地域でニーズ・需要があるからやっているだけ。そう思うことが大切だと思っています。

一つ一つの思いが「総意」 佐藤 侑加さん

福島で住んでいる人とひとことで言っても、福島のどのあたりか、世代によっても抱えている問題とかも違う。もともといた地域や世代によって震災とか原発事故によって対立みたいな構造ができてしまったり、これまであったものが浮き彫りになってしまったと強く感じる。そういう意見のどれが正しいとか総意ではなくて、一つ一つが問題であり総意だと思う。どういった問題を抱える人であっても、寄り添って支援する人たちが支援できるといいのになっと思っている。

忘れてしまう前にしてほしいこと 西内さん

 だんだん忘れられていって当然だと思っています。阪神とか新潟とか北海道とかで島でもありました・・・。規模は違っても大きいものがあっても自分たちも忘れてしまっていたし。この規模で起きても忘れられるのは当然の流れでしかたがないとは思っています。でも、まだ2年めだし、(全国のみなさんは福島の経験を)今後に生かしてほしいです。避難の方法についても、原発についても、本当に忘れる前に、自分の身に起きたらどうするのかと真剣に考えて欲しいです。この間OT仲間で集まったけれども地元の人間が地元を支援するというのは、別に特別なことではなくて、当然のことだよねと、みんな言っていました。「被災地を支援するのはすごいことですね」とかマスコミの人とかに言われるとすっごいフラストレーションがたまります(笑)。

当たり前の暮らしこそが災害の備え 伏見さん

 学会で話をしたときに、自分以外の他の地域の人と3人で発表をしたけれども、あの時、福島で何があったのか、他の地域、受け入れた会津がどれだけ大変かということを自分は知らなかった。学会全体でみれば、震災がメインでもなく、これだけのサイズになっちゃったんだなあ〜と感じました。
最近は「支援」という言葉に違和感があって、確かに支援というかたちだけれども、ともに暮らして生きていくというほうが合っているという気がします。
震災への備えとして何をすればいいのかというと、当たり前の生活、人と暮らしていくということだと思います。虹の家の活動にしても、もし原発のこととかがあったとしても、今あれだけの活動をしていれば、必ず復活する、今までの下地があるものは、一回壊れても復活できる、もともとないものは震災の後は無理よね〜と思ってます。ぴあさんとも、これからも情報を交換して仲良くしていくことが、ともに生きるということだと思う。

震災直後、おばあちゃんがゴミが捨てられるように運ばれてくる姿、お迎えにきてほしいとお願いしても「そっちで面倒みてください」と言われたり・・・それが忘れられなくて・・。もしかしたら、そのおばあちゃんが悪口を言っていたりして身から出たサビなのかもしれないけれども・・・・家族で仲良く暮らすとか、ものを準備するのではなく、そういうことが大切だと思います。

来て、みて、伝えてほしい。 佐藤菜摘さん

 ずっと学生で、まだ社会人としても全然なんだけれど、そんな私が思うのは、実際に福島は原発事故であれ、津波であれ、住んでいるところをなくしてしまった。自分の家は全壊して大変な思いをしているんだけれども、それを被災地以外の人に全部わかってもらうことは、絶対に難しいものだと思っています。でも、それでも、寄り添ってほしいというか、その人の身になってほしいなあとは思います。今、ニュースやTwitterfacebookなどが発達していて、いろんなことが見られて知れて、情報が一人歩きするけれども、実際に自分の目でみたことを信じることが大切だと思う。仮設で暮らす人はずっと元気だったりする。来るといいよ、実際に自分の目でみたことを伝えていけばいいよ、と思う。

手探りのなか糸口を見つけていきたい 佐藤照美さん

 「天災は、忘れたころにやってくる」と実感しました。自分の所には起こらないと、根拠のない自信を持っていたけれど、昨年の震災で、根拠のない自信を打ちのめされました。

 患者さんと一緒に避難し、家族と連絡が取れない状況となり、泣くことも、笑うこともできなかったあの時を、今も思い出します。
 相馬で暮らすようになり、訳もわからず、アウトリーチ訪問が始まり今に至ります。これから、住民の方に何ができるのか、手探りです。しばらくは、闇の中かもしれませんが、少しずつ、糸口を探したいと思います。

シュミレーションをしておいてほしい 広田さん

 もともと僕は災害医療をやっていた。看護学校を出て災害医療センターで働いていたりして、転勤してからも関心は持っていた。病院のなかの災害時の対応で、人工呼吸器の対応の研究などをしていた。今回こんな地震があってボランティアとして石巻にいて、1回目に行った時点で、現地にしっかり入らなければと思った。そのスタイルでどこかで活動しようと思って情報収集していたら、南相馬に行ってご覧と言われた。市立総合病院や保健師さんにお世話になりつつ活動しながら、ある程度顔を覚えていただいたところ、11月ぐらいにここで準備しているときいて、その後今に至っています。

 中越の大地震のときも学生だったけれども、ボランティアに行った。急性期と亜急性期と、どのようなフェーズでどういうニーズがあるかなどみてほしいし、看護学校で専門の教育もあって、関心を持ちながら活動していた。
 いろんな可能性があるので、常に災害のことを定期的に想定して生活していくのが大事かと思う。家族の連絡先が、電話がなくなったときにどうするか、非常時にこういうものが足りなくなったらどうするかとか。当事者さんは避難所に入った後に、周囲との適応が一般的には難しい。シュミレーションをしておくことがとても大切なのではないか。薬も足りなくなって一時的に医療機関がとまって苦労した方が多かったので、そのようなことも想定しておくといいだろう。人のつながりって大事なので、災害直後の急性期は行政は動きがとれないので、誰かが何かをしてくれるだろうということではなく、行政なり医療機関なりが立ち上がってくるまで、自分一人ではなくお互いの共助ができるといいんじゃないか。日常生活、常にお互いに支えあうネットワークを作っていくことが大切。行政は計画あることならばできるけれども、突然のことに急には対応できない。ふだんのネットワーク作りが大切。

 福島に遊びに来てください。ホテルがあまりとれないけど(笑)。

 物は大地震でもすぐ来るので、それ以外のものっていうのかな、物の心配は最小限。人と人とのつながりとかの準備の方を備えてもらえればいいんじゃないかと思います。

海が遠くなったことが寂しい 河村さん

私は静岡っていうと、海を思い出します。波乗りに行っていたんです。御前崎に。だから、浜岡原発の展示館とかも入ったことがあります。

震災時は東京の病院に勤めてたけれど、その後出身地のこちらに戻りました。こちらに来たら放射能で海に入れない。生活は戻ったけれども、前は当たり前にできていたそういうことができなくなってしまった。東京にいるときは静岡にいけたのに、今こんなに近くに海があるのに入れないというのが寂しい。
海が近い者として、身近すぎて、入れない寂しさがある。海が遠くなりました。

まだ何も終わっていないんです。始まってもいません。 木村さん


 ・・・木村さんがこう言い放つと、その場にいたスタッフのみんなから、「お〜〜〜」と称賛の声があがりました。
 その通りですね。

 みなさん、
まだ何も終わっていないんです。始まってもいません。