アウトリーチ支援2日目です

 火曜日ですね。浜松であればみかんが輝いているのですが、なごみさんの近くでかりんの実を見つけました。
 火曜日といえば、虹の家の昼ごはんがある日です。みんなでああやってワイワイしながら一緒にご飯をつくる、そしてみんなで食べる。そんなことがいかに素晴らしいことなのか、この相馬の地で感じています。
 ・・・お昼ごはん虹の家で食べたいなあ・・・なんて思いながら、朝ホテルからなごみさんまでの道を歩いてきました。

木の床で思いっきり遊ぶ

 午前中は南相馬市の鹿島保健センター(かしま子育て支援センター)で行われたお母さんと子どものサロン活動に同行させていただきました。広々とした木の床の部屋で3歳未満くらいの17人の子どもたちが思いっきり走ったりはしゃいだり。木製の大人の胸の高さくらいの滑り台に乗ったりすべったり。
 放射能汚染のために、小さな子どもたちが外で思い切り遊ぶことができなくなってしまいました。
 そういう環境のなかで、このような場はとても貴重でしょう。

 活動が終わってからは、保健師さんやなごみのスタッフのみなさんで振り返りを行なっていました。少し気になるお子さん、お母さんに関する情報を交換して、見守りつつ必要があれば支援の手を差し伸べる。

 厳しい状況のなかで、たくさんの大人に見守られながら、一人ひとりの子どもが健やかに育って欲しいと願うばかりです。

牧之原市からきている保健師さん

 そんなスタッフの中に、静岡県牧之原市から出向している保健師さん、佐々木香織さんがいました。牧之原市南相馬市と同じように海沿いにあり原発があることから、昔から交流があるのだそうで、このような原発の事故があってからも支援とともに「勉強してこい」ということで、保健師を1人ずつ派遣しているのだそうです。佐々木さんは3ヶ月、その後も保健師が派遣されるのだそうです。
 長いスパンの支援、頑張ってほしいですね。

大切な人との大切なつながりが断たれれしまうということ

 午後の訪問を待っているときに、なごみのセンター長である米倉さんが「こんなものがあるんですよ」とDVDを持ってきてくれました。
兆しのなかをさまよう人々
現代詩のようなはっとさせられるタイトルですね。

 地域活動支援センター、コーヒータイム。
 浪江町にあったがために、放射能によって強制的にその場を追われ、そこでのさまざまな営みは3.11を境に断絶されてしまいます。それがどのようなことだったのか、そして、その後、コーヒータイムのみなさんは、どのような歩みをされたのか。途中までしかみていないのですが(途中で次の訪問の時間になったから)、心に残るドキュメンタリーです。写真の上のテレビはその一場面、防護服を着て特別に許可をいただいてコーヒータイムの橋本さんや米倉さん、ぴあクリニックにもいらした大熊一夫さんらが浪江のコーヒータイムに赴くところです。

 DVDの中で、コーヒータイムを利用していた方が語っていました。

「今までの生活の大部分だった仲間、スタッフと会えなくなったのがなによりつらい」
「今まで9ヶ所の避難所を転々としてきました」

 虹の家のみんなの顔が浮かびました。

 虹の家がなくなってしまう。

 長いことかけてできあがった、あの場の雰囲気、みんなのつながり、文化、力、行事のノウハウ、おいしいご飯とご飯作りのノウハウ・・・あれをもう一度創れと言われてもムリ!と思いたくなりますね。

 でも、そういうことが、相双地区では実際に起こってしまったのですね。
 それがどれだけ重くつらく悲しいことなのか・・・。想像してもしきれないけれども、でも、想像しなくてはいけないような気がします。

素敵な相馬のお店

 夜はなごみのスタッフのみなさんに歓迎会を開いていただきました。

 駅のすぐ近くのお蕎麦屋さん(右の画像です)ですが、雰囲気がとても床しくて相馬の文化度の高さを感じさせられます。
 ここでは、「もっと福島から発信しなくては!」などいろいろと興味深い話も出ましたが、もう時間がありません。みなさん、お忙しいなか、ありがとうございました。