耐えられることと耐えられないこと
横山さんはなごみCLUBに通う方のところに大谷さんと一緒に訪問へ。横山さんと共通する点もあったりして、2時間近くもその方がたくさんお話しをしてくれたそうです。
私はさきほど書いたように、みなさんと一緒に柚木応急仮設住宅の集会場に。海辺に位置していて震災の津波被害が甚大だった磯部地区*1の方たちが避難していた仮設住宅で、220戸建設されました。
しかし、その後仮設住宅で暮らしていた方たちの多くが、復興住宅への移転ほかそれぞれの世帯で自分たちの行き先を決めて移転していきました。220戸あった仮設住宅のなかで現在も仮設での生活が続いているのはほんのわずか。
「日中はもう数人しかいないかもしれない」
と、今日そんな話題もありました。
誰がどこに移転していくのかというのは、仮設内でもさまざまな話題となったようです。今日お話を伺った方は、まだ仮設にて生活しているけれども、自分の移転先に関してうわさ話として自分の耳に入ってくる、しかも事実と違う内容で入ってくるとそれが耐えられないと言っていました。
幼い頃から苦労して、結婚後も苦労してきたその方からすれば、「今まで苦労してきたから、たいていのことは我慢できる」のだそうです。しかし、自分に関するうわさ話がそんなふうに予想もしなかったかたちで自分の耳に入ってくると、それは「どうしても耐えられない」のだそうです。
たまたま言い間違い、聞き間違いがあっただけかもしれない。
その方のことがみんな心配で、「〜〜だといいね」と言った話があってそれがたまたま違う方向にそれてしまっただけかもしれない。
言いたいことは言わせておけばいいやと思えばよい。
・・・ともいえます。
でも、そう思えない、「自分の気持ちを言わなければいいんだ」と思ってしまう。そんな「余裕のなさ」がその方を覆っているようです。
「余裕がないんだよね」「気持ちにゆとりがない」「殺伐としているんだよね」
そのような言葉を、今日1日だけでもいろいろな人から耳にしました。
被災して5年近く。
「被災している」という状況はまだ変わらない人たちも少なくありません。「被災している」という決して満足できない状況に長い時間置かれているのですから、そのような精神的な状況に置かれるのはやむをえないことにも思われます。
ではどうすればいいんだろう・・・?
それを、相馬の人たちだけではなく、福島の人たちだけではなく、例えば静岡の私たちも一緒に考えていけるといいんじゃないでしょうか。
直接見た、聴いた、知ったことを できるだけ
横山さんと上久保で、なごみさん(相馬こころのケアセンターなごみ・訪問看護センターなごみ・相談支援事業所なごみCLUB・地域活動支援センターなごみCLUB)でまた伺うことができました。
「支援」という枠で伺っていることになっていますが、一方で「いま」の相馬・南相馬をお伝えしなくちゃいけないと思っています。とはいっても、自分が見聞できることというのはとても限られているし、自分というバイアスを通したものになってしまいます。
できるだけ、そこにいる方たちの言葉を、自分が直接見聞したことを、お伝えできればと思っています。
36回!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
今日は、以前ご一緒したことのある小林先生と西内さんともうお一方の看護師さんと柚木の応急仮設住宅の上にある集会場に伺いました。
そのもう一人の看護師さんは、実は静岡市在住で、3交替勤務で働きながら、月に2回世界の医療団のスタッフとしてこのなごみさんでの支援を続けられているのだそうです。
本当は3.11直後から支援をしたかったけれども、職場の状況でとても行けなかったんですよね。
阪神大震災のときは子どもが小さくて行けなかったし。
でも、どうしても行きたくて。支援に行かなくちゃという沸き立つ思いがあって・・。
ということで、世界の医療団福島そうそうプロジェクトのスタッフとして3年前から月に2回、公休を使って来られているそうです。
震災直後はいろいろな団体が支援に赴き、いろいろな活動が脚光を浴びました。また、5年後ということで、報道はちらほら増えるかもしれません。しかし、そのような時間の流れと関係なく、コンスタントに月に2度、片道500km近くかけて来られているのって本当に頭が下がります。 身を削って時間を削って、地道に継続的に赴かれている方を目の前にして、ただただ感心というか感銘を受けます。すごいなあ〜。タフだなあ〜。